バリキャリでも良妻賢母でも、素晴らしい自分という複雑な存在を生きる
多様性の時代、という言葉を聞くようになってから、どれくらいの年月が経っただろうか。
何でもかんでも多様性と言えばいいもんじゃないって皆が気付いているのに、その声はまるで届かない。
ジェンダーレスな世の中へ、という目標は素晴らしいし実現したら嬉しい。…けれど、何だか違和感を感じたことはないだろうか。
本記事では、先述したキーワードが漂わせる息苦しさを解明し、息苦しさを感じているあなたにエールを送りたいと思っている。
ジェンダー通りの女性って?
あなたは今、何を求めて生きているだろうか。そして、世間が女性に求める生き方に、無意識のうちに息苦しさを感じてはいないだろうか。
私たちの社会には、女性に向けられた二つの大きなジェンダーの枠組みが存在している。一つは、“昔のジェンダー観”と呼ばれるものだ。それは、女性は家庭を守り、男性は外で働くという、性別による役割分担が明確だった時代の価値観である。専業主婦として家庭を完璧に回すことに誇りを持ち、男性を立てるのが美徳とされた。
そしてもう一つは、“今のジェンダー観”だ。共働きが主流となり、女性も男性と同じように社会でキャリアを築くことが奨励される。結婚は必須ではなく、ライフスタイルは多様で自由であるべきという風潮だ。
メディアを賑わすのは、後者の、強く、自立した女性像かもしれない。しかし、前者の価値観を心から心地よいと感じる女性がいたとして、それを古いと断じる権利は誰にもないはずだ。
大切なのは、これらのどちらの枠組みも、ただの「風潮」に過ぎないということ。あなたは、どちらかの期待に応えるために生まれてきたわけではない。
女性という、強く脆くてかわいくてカッコイイ存在
女性は一面的ではない。優しく包み込む母の顔もあれば、論理的にプロジェクトを動かすリーダーの顔もある。時には涙もろく、時には誰よりも勇敢である。
私たちは皆、強さと脆さ、可愛らしさと格好良さといった、相反する要素を内包する複雑で多面的な存在なのだ。その多面性を、世間のジェンダー観という名の物差しで測り、切り捨ててしまう必要はない。
お涙頂戴の何が悪い
もしあなたが、家庭で愛情を注ぎ、パートナーを支え、日々の生活を丁寧に回すことに最高の幸せを感じるなら、どうだろうか。キャリアをバリバリ追求するよりも、子どもを育てることに情熱を注ぎたいと思うなら、その選択を誰が否定できるだろうか。
現代社会では、こうした生き方は「古い」「自立していない」といったレッテルを貼られがちである。しかし、家庭を築き、維持することは、並大抵のマネジメント能力では成し遂げられない、非常に高度な仕事ではないか。感情豊かに涙を流す優しさや、誰かを支える献身性は、立派な強さだろう。
バリキャリ女子の何が悪い
一方で、あなたが仕事に没頭し、昇進を目指し、経済的自立を追求することに喜びを見出すなら、それもまた素晴らしいこと。結婚や出産がキャリアの足かせになることを恐れ、それを選択しない道を選ぶことも、完全にあなたの自由だろう。
この生き方は“今のジェンダー観”にはフィットしやすいかもしれない。しかし、その今の風潮に流されているわけではなく、あなた自身の内なる野心と情熱に従っているに過ぎない。他人の期待のためではなく、自分の能力を最大限に発揮し、自己実現を果たすこと。その生き方もまた、文句なしに格好良いものだ。
まとめ:自分は自分にしかなれないのだから好きに生きよう
私たちは、昔ながらの良妻賢母のイメージにも、現代的なスーパーウーマンのイメージにも、無理に自分を合わせる必要はない。
誰かが決めた“理想の女性像”は、あなたという唯一無二の存在の、ごく一部しか切り取っていない。あなたは、家庭を愛しつつ社会で活躍しても良いし、一人でいることを楽しみ、誰にも頼らず生きていっても良い。性別や時代を超えて、あなた自身が心の底から「これが私の幸せだ」と感じる道こそが、あなたにとっての正解なのだ。
昔のジェンダー観にも、今のジェンダー観にも、踊らされる必要はない。
―あなたの選んだ生き方こそが、最も美しく、力強い生き方であると、私たちは信じている。自分は自分にしかなれないのだから、誰の期待も気にせず、心から好きに生きようではないか。
