みなさんこんにちは。 編集Mです。
今回は、“湯豆腐”について少しお話しさせてください。
先日、YouTubeかテレビだったか定かではないのですが、とある芸人さんが語っていた“湯豆腐のありがたみ”に関するトークに物凄く共感したんです。そのトーク内容が本当に絶妙で…。
「今日の夜ご飯、何?」
その芸人さんが子供の頃、お母さんに「今日の夜ご飯なに?」と聞いた時に、「湯豆腐やで」と回答されたら、それはもうがっかりしたそうです。
みなさんも覚えがありませんか? 「えー、豆腐だけ~?」みたいな。
ご飯のおかずとして機能してないやん、なんて豆腐に対して失礼な気持ちを抱いたりして。
でも、大人になった今、湯豆腐を食べるとどうでしょう。 もう、感謝しかないわけです。うますぎる。染み渡る。昆布だしの中でゆらゆらと浮かぶ白い豆腐に、ただただ手を合わせたくなる。
そんな芸人さんのエピソードトークに共感しましたし、何よりも「湯豆腐やで」と言ったお母さんの「いやこれが冬の一番のご馳走やん」という気持ちが、痛いほどわかるようになっていました。
―まさか湯豆腐で自分の成長を実感するとは。夢にも思っていませんでした。
湯豆腐的なしあわせ、感じてる?
この話をきっかけに思ったんです。こういう“湯豆腐的なこと”って、日常にもっと転がっているんじゃないか?と。
たとえば、冬の天気の良い日の、窓際の陽だまり。
子供の頃なんて、太陽の光はゲームの画面が反射して見にくい、みたいな文句しか出てきませんでした(編集Mの場合は、ですが)。
でも、今はどうですか?
なんとなく、あの時のぽかぽか感を思い出して切なくなりませんか?
もう、あの頃には戻れないんだと。
でも、決して苦しい切なさではないんですよね。なんというか、思い出の中でぼうっと明かりが灯っているような。あたたか×切ない気持ち。
湯豆腐も、陽だまりも、世界情勢とか地球の未来から見たら、本当にちっぽけなことかもしれません。
でも、この小さなことがしあわせだと気付ける環境にいること自体が、ものすごくありがたいことですよね。しみじみ。
湯豆腐にイラつく可能性を考えたことはあるか
一度、想像してみてください。
もし毎日が忙しすぎて、心に余裕がなくてイライラしていたら。
編集Mの場合、湯豆腐を食べる時に「あっっつ!」と理不尽にキレてしまう可能性があります。自分で湯豆腐を口に運んだのに。
あの湯豆腐の優しさを、熱さという攻撃と捉えてしまうかもしれないのです。
陽だまりだって、「まぶしいわ!」とキレながらカーテンを閉め切ってしまうかもしれない。
…今、この記事を読んで「わかる」「それな」と共感してくださっている方がいるとするならば。あなたは今、湯豆腐や陽だまりを受け入れる心の余裕がある、ということです。
それって本当に素敵なことです。そして、そんな風に穏やかに笑えるあなたの周りにいる人たちも、きっと素敵な人に違いありません。
湯豆腐を感じられる人生に、乾杯!
こんな湯豆腐について語る記事ある?というくらい湯豆腐トークを展開してきましたが、いかがだったでしょうか。
湯豆腐ひとつでここまで幸せになれるなら、私たちの人生、案外捨てたもんじゃないですよね。
なんだか良い話風にまとめちゃいましたが、編集Mの胃袋はもう完全に出汁モードです。ポン酢の準備も万端です。今晩は湯豆腐で決まり。
寒い夜、ハフハフしながら、小さな幸せを噛み締めましょう。できたら、あなたのオカンやオカン的存在とご一緒に。あ、この記事は湯豆腐の案件じゃないですよ。あしからず。
それでは、次回の編集Mによるコラムもお楽しみに。
